ドイツへ留学する前の彼女の弾くピアノは、ただひたすらに一音、一音を正確に弾くオートマタ。工場の機械が響いているかのような無感情なピアノでした。それがこのコンサートでの彼女のピアノには魂を感じたのです。バッハのトッカータでは神と向き合うバッハを感じ、ドビュッシーには水面に映る影が風で揺れるのを感じ、シューベルトのソナタには、途中の変調をさりげなく弾きながらもピアノに真剣に向き合う彼女の姿がシューベルトのように感じるほどでした。日本の大学ではなく、ドイツの大学でピアノを学びたい!と飛び出した彼女。確かに彼女の求めるものがドイツにあったということがこの彼女のピアノの音を聴いてはっきりとわかりました。
グローバル化の波にある昨今、日本には今、何があるのだろうと思うのです。明治時代に文明開化としてヨーロッパに学び、それを日本流に進化させた日本。でもいつの間にか、日本国内だけで殿様になってしまい海という防壁があるのをいいことに、お城を建てて権威として小さく輝いていたのでしょう。それが海という防壁が突然、消え去るグローバル化の時代になり、権威のお城は実は小さくしかも土台は砂の上だったことにみんなが気付いてしまった、それが今なのではないでしょうか。それは芸術の分野だけではなく、様々な学問や企業に至るまでそうだったのでしょう。
経営が立派だと、業績のいい会社に人々は言ってきました。でもそれはたまたまその企業の立ち位置が幸運だっただけで経営者が誰であろうと、業績は良くなるのではないのか。そんなことよりも大事なことは、驕ることなく常に前向きであり続けること。企業で働く人たちは30年もすれば入れ替わってしまいます。それでも常に企業の姿勢が同じであり続けること、それこそが立派な経営ではないでしょうか。そしてそれは企業だけではなく、様々な分野にもあてはまると思うのです。グローバル化の波にさらされている大学もそうでしょう。日本国内でしか通用しない権威、そしてその取り巻き。偉くなるにはまず権威に迎合しなくてはならず、そういうことに時間を注いだ結果は、何もできない権威という滅びつつある骨にしがみつくだけの存在。そういえば海外では注目される学者が大学では準教授であることがいかに多いことか。
今、グローバル化に晒され危機的な状況に陥っている日本の企業や大学。まさかどうすれば権威が保てるかなんてまだ考えているんじゃないでしょうね。そんなことよりも、自分の姿をよく見て何が不足しているのか、学ぶ姿勢が大切だと思うのです。文明開花で一挙に先進諸国の高度な文明というものに触れた明治の人々は、野蛮人でも無知な馬鹿でもありませんでした。日本国とその文化に誇りを持ちながら、新しい文化に触れて理解しようと努めたのです。そしてその学ぶ姿勢から新しい波を自分たちで創り上げました。今、また権威に凝り固まっていた姿勢を糺す時なのだと思うのです。
素晴らしいピアノ演奏を聴かせてくれた彼女のドイツ留学。そしてそこで学ぶ姿勢を貫いている彼女の努力に感謝してケーキ屋さんで特別にピアノのケーキを作っていただきました。彼女が箱を開けた瞬間、12年前の女の子に戻ってくれました。「わあっ!」と感嘆の声をあげてくれる様を見て、なんだかうれしくなりました。


















