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カテゴリ:いちば担当者の独り言

  • 金環日食
    [ 2012-05-21 09:04 ]
  • ピアノ
    [ 2012-02-28 01:19 ]
  • 国家の姿勢
    [ 2012-02-11 15:48 ]
  • 花束
    [ 2012-01-29 17:35 ]
  • カフェ フェルマータ
    [ 2012-01-28 10:28 ]
  • 愛犬レオ
    [ 2012-01-22 08:43 ]
  • 明けましておめでとうございます
    [ 2012-01-04 19:44 ]
  • 軽井沢のクリスマス
    [ 2012-01-04 18:46 ]
  • カフェティティカ
    [ 2011-12-18 18:00 ]
  • 月とシュトレン
    [ 2011-12-15 17:42 ]

 

金環日食

金環日食、今頃、たくさんの人が写真をアップしているのでしょう。私もその一人ですが、、、。
そういえば1997年の秋頃にイタリアはベネチアに旅行した際に偶然に金環日食に遭遇しました。夕日のボートの上、なんだか暗くなったなぁと思っていたら、漕ぎ手が空を見上げて「リング!」と叫んでいます。あちこちのボートも停泊して上空を見上げて「リング!リング!」と叫んでいます。赤い夕陽が環になっている様は素晴らしく綺麗でした。まったくの偶然の出来事に驚いたのを思い出しました。
曇天ではあったものの、もし雲がなければ眩しくて見ることはできなかったことでしょう。神様が、みんな心して身ておくように!とやや雲を薄くして見えるようにしてくれたのかもしれないなぁ。そういえば日本時間の昨夜、イタリアで地震があり犠牲者が出たとか。1997年にも大きな地震があったように思います。このところ天変地異が多いようですが、それでも宇宙は関係なく素晴らしいショーを見せてくれる。というよりも人間なんてちっぽけな存在で、どうあがこうが、何をしようが大いなる宇宙の下ではただ見ているだけの存在にすぎないのだと、金環日食を見ていて感じました。

by kankyoichiba | 2012-05-21 09:04 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(0) 

ピアノ

 ついこの間まで、小学生に通っていて2階へ上がる階段の途中で座って「ハリーポッター」を読んでいた女の子だったのです。ピアノが大好きでいつも練習していて、そしてその合間に階段に座って読書をしていた女の子は、高校を卒業するとドイツのフライブルクにある音楽大学に留学しました。ドイツで暮らして3年が過ぎ、女の子は立派な娘さんになりました。そして先日、一時帰国した折にコンサートを開きました。知人、親類、友人に囲まれてピアノを弾く彼女は、立派なピアニストでした。初めて会ってから12年が過ぎていたこと、そしてその12年の歳月で彼女がいかに成長したかを、ピアノの音を聴きながら想わされました。
 ドイツへ留学する前の彼女の弾くピアノは、ただひたすらに一音、一音を正確に弾くオートマタ。工場の機械が響いているかのような無感情なピアノでした。それがこのコンサートでの彼女のピアノには魂を感じたのです。バッハのトッカータでは神と向き合うバッハを感じ、ドビュッシーには水面に映る影が風で揺れるのを感じ、シューベルトのソナタには、途中の変調をさりげなく弾きながらもピアノに真剣に向き合う彼女の姿がシューベルトのように感じるほどでした。日本の大学ではなく、ドイツの大学でピアノを学びたい!と飛び出した彼女。確かに彼女の求めるものがドイツにあったということがこの彼女のピアノの音を聴いてはっきりとわかりました。
 グローバル化の波にある昨今、日本には今、何があるのだろうと思うのです。明治時代に文明開化としてヨーロッパに学び、それを日本流に進化させた日本。でもいつの間にか、日本国内だけで殿様になってしまい海という防壁があるのをいいことに、お城を建てて権威として小さく輝いていたのでしょう。それが海という防壁が突然、消え去るグローバル化の時代になり、権威のお城は実は小さくしかも土台は砂の上だったことにみんなが気付いてしまった、それが今なのではないでしょうか。それは芸術の分野だけではなく、様々な学問や企業に至るまでそうだったのでしょう。
 経営が立派だと、業績のいい会社に人々は言ってきました。でもそれはたまたまその企業の立ち位置が幸運だっただけで経営者が誰であろうと、業績は良くなるのではないのか。そんなことよりも大事なことは、驕ることなく常に前向きであり続けること。企業で働く人たちは30年もすれば入れ替わってしまいます。それでも常に企業の姿勢が同じであり続けること、それこそが立派な経営ではないでしょうか。そしてそれは企業だけではなく、様々な分野にもあてはまると思うのです。グローバル化の波にさらされている大学もそうでしょう。日本国内でしか通用しない権威、そしてその取り巻き。偉くなるにはまず権威に迎合しなくてはならず、そういうことに時間を注いだ結果は、何もできない権威という滅びつつある骨にしがみつくだけの存在。そういえば海外では注目される学者が大学では準教授であることがいかに多いことか。
 今、グローバル化に晒され危機的な状況に陥っている日本の企業や大学。まさかどうすれば権威が保てるかなんてまだ考えているんじゃないでしょうね。そんなことよりも、自分の姿をよく見て何が不足しているのか、学ぶ姿勢が大切だと思うのです。文明開花で一挙に先進諸国の高度な文明というものに触れた明治の人々は、野蛮人でも無知な馬鹿でもありませんでした。日本国とその文化に誇りを持ちながら、新しい文化に触れて理解しようと努めたのです。そしてその学ぶ姿勢から新しい波を自分たちで創り上げました。今、また権威に凝り固まっていた姿勢を糺す時なのだと思うのです。
 素晴らしいピアノ演奏を聴かせてくれた彼女のドイツ留学。そしてそこで学ぶ姿勢を貫いている彼女の努力に感謝してケーキ屋さんで特別にピアノのケーキを作っていただきました。彼女が箱を開けた瞬間、12年前の女の子に戻ってくれました。「わあっ!」と感嘆の声をあげてくれる様を見て、なんだかうれしくなりました。

by kankyoichiba | 2012-02-28 01:19 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(1) 

国家の姿勢

 NHKの「日本人は何を考えて来たのか」の第3回で、環境保護に生きた先人の田中正造と南方熊楠の二人の生き様が紹介されていました。足尾銅山の鉱毒が川を汚染し、その流域の人々の田畑を荒らし健康を害することに対し国会の場で訴えた田中正造。でも国家は東大の教授に、「銅山から出てくる毒が健康を害する証拠は何もない。そればかりか少量の銅は健康に良い」と言わせるのです。そのことを聴いて似ていると感じたのは私だけではないでしょう。福島原発での事故により大量の放射性物質が放出されてしまったこと。あの時、国家機関に関わる学者たちは「放出された放射能が人体に悪影響を与えるなんてことは理論上あり得ません。むしろ少量の放射能を浴びるのは健康に良い」と主張したのです。銅山を閉山すべきと主張し続けた田中正造は国会議員であることでは運動できないと考え、辞任をして運動を続けていきます。結果として、その運動は田中正造の生涯では報われることはありません。
 でもその信念や生き様は死後99年を経た今でも人々に語り継がれています。そして日本の高度経済成長期で水俣、神通川、阿賀野川、川崎で発症した公害病での国家のやり方、その強引で非を認めず、時間的金銭的余裕のない人たちに延々と結論を延ばし苦しめ続けたのです。国家は人々を救済するためにみんなの心的契約を基にして起きたものであり、その原動力のひとつである経済は民を救うための手段であるはずなのです。それを貧しい人には生活をより窮乏させるかのように税金をむしり取り、社会のためとして弱者ではなく強者のために活動する資金として活動するのが国家なのでしょうか。太平洋戦争に敗戦し、国家体制が崩壊して素晴らしい世界が造られるとみんなが一致団結して前進していた時代。そういう時代の暗部で、国家はやはり同じように行動していくのです。みんなが一生懸命に働き、だんだんと豊かになっていると実感していた頃、影に隠されるように公害病による被害があり、民衆はそこから目を背けた方が利口ですよ、なんて思わされたのかもしれません。それでも公害は無視できなくなるほどに被害が拡大して、対策を取らざるを得なくなりました。だから国家はそれで懲りた、学んだ、再発はしないようにと誓ったはずだと信じたのです。でもそうではないことがこの福島原発に象徴される日本のエネルギー施策にあることが事故をきっかけにして起きたさまざまな事象で露わになったと感じています。御用学者は原子力発電は安全だと原子力発電の必要性を主張し続けます。でも現在、日本の原子量発電炉の90%が停止しているのだとか。それの意味するところは本当は無くてもいいんじゃないの?というところです。
 原油を輸入しなくてはなりません、それに頼ると国家的に危ないです、温暖化防止もできません、そう彼らは主張し続けています。でも本当にそうでしょうか。円高になっている現在、原油は安価に調達できるはずだし、火力発電所は日本の需要量を超える発電能力が十分にあるくらいに建設されていたはずです。私が原子力発電所に対してすぐに停止すべきだと感じるのは、その使用済核燃料の廃棄方法が人間にはできないという点にあります。普通に廃棄すると放射線が出ているし発熱もしているし、その放射線が人は自然環境に悪影響を及ばさなくなるまでには何世代もの監視が必要になります。そんなことが必要ということは原子力発電というものの発電コストは実際にはとんでもなく高額なのではないでしょうか。
 国家というモノ、それは人民のためにあるはずの機関。でもそこに働く人は与えられた権力に酔わされて、見なくてはならないものが見えなくなり、近くにある親しみやすいものに優しくなってしまうのです。それを防ぐには国家に従属できる期間を著しく制限するしかないのではないでしょうか。NHKの「日本人は何を考えて来たのか」の第4回では、幸徳秋水と堺利彦が紹介されていました。大逆事件で処刑された無実の幸徳秋水ら12名の民衆。それを実質的に指導したのは元老院の山形有朋。彼は貧農の出で、虐げられた民衆の気持ちをよく理解できる境遇にあったはずです。でも明治の世で脚光を浴びるうちにその国家に酔わされてしまったのでしょう。この大逆事件こそ、その後の日本が太平洋戦争へと突き進むのを防げなくなってしまうきっかけであったし、虐げられた人々が社会に訴えることを阻害する要因となりました。そしてその影響はいまだにこの原子力行政においても現れていると思うのです。
 本当はこうしたかった、言いたかった、などと回想録に残す国家側にいた人たち。あの世に行く前に自分は本当はなどと懺悔したところでその罪は消えるばかりか、「あいつはバカだった」なんて高校の授業で教えられるのかも。懺悔するなら、今、動きませんか。本当はどうしなくてはならないのか。国家に酔う時代はもう終わったのです。
 空を見上げるとなんだか不思議な雲。地震雲というものがあるならばこういうものなのかなぁ。本当に大地震は来るのでしょうか。5年以内に70%の確立で起きるなどと報道している国家。あいつがそう主張するならばそれは何かもっと大切なことから民衆の視線を外すために違いない。それはいったいなんでしょう。地震雲のような雲を見ながら、危ないのは本当は地震ではなく国家なのだと思うのでした。

by kankyoichiba | 2012-02-11 15:48 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(0) 

花束

 花束が届きました。愛犬レオが亡くなった1週間後に、病院からでした。それは立派な花束で大きな段ボールに入って届けられました。何が届いたのかわからなかったほどです。病院の院長が、「せめてあまり苦しみのないように逝けるように努めます」との言葉が蘇ってきます。あの犬好きの院長先生、そしてその他の先生や看護士の方々、みんなが精一杯にレオの瀕死の容態に向き合っていました。誰もが忙しい中だったと思います。それでも一生懸命になって蘇生処置を行ってくれました。心臓の鼓動が無くなりそれでも心臓マッサージをしてくれていた医師。そして院長先生が「もうかわいそうだ、もういい」とその医師を止めたこと。こんなにたくさんの医師や看護士に囲まれて看取られて逝けたレオは幸せだとその時、想ったのです。院長先生からは「少し綺麗にしてあげるので待合室で待っててください」との言葉。なんだか呆然としながら逝ってしまったレオのことを想いながら待つことしばし。再び呼ばれたときにはレオは白いタオルにくるまれてベッドの中でいつものように丸くなって寝ているようです。「本当に残念でなりません、でもできるだけのことはしました。そして綺麗にしました。ほら歯石も取りました」との院長先生の言葉。確かに歯は幼かった頃のレオの歯のように白くなっています。そしてみんなに見送られてレオを連れて帰ったのです。病院の支払いも忘れて、、、。
 「初七日が過ぎて落ち着かれてからでいいので」とレオを抱えて病院を出るときに院長先生が言っていたような気がするもわかりません。どうしようかな、病院へいつ行こうかな。そう思っていたいたら花束が届いたのです。そういえばレオは花を食べるのが好きでした。花屋さんの店先でパクパクとコスモスを食べてしまったことや、ベランダで育てていたサボテンの花を食べつくしたことも。
 さぁ、久しぶりに病院へ行こう!

by kankyoichiba | 2012-01-29 17:35 | いちば担当者の独り言 | Trackback(1) | Comments(0) 

カフェ フェルマータ

 我孫子は市民図書館の近くの落ち着く喫茶店「カフェティティカ」が閉店してから1か月ばかり。あのお店のあった場所hどうなったのでしょう?と思ったらあれ?喫茶店ができています。店名は「カフェフェルマータ」。なんだか音楽っぽい名前だけど。。。お店にはマスターとその奥様の二人できりもりされているようです。モーツアルトのオーボエ協奏曲が店内に響いています。ティティカのパリの街中のカフェを思わせていた雰囲気とは異なり、どこかもっとシックで大人びています。店は明るいけれども静かn雰囲気。どことなくドイツはシュバルツバルトの森の中にいるような気がしてきます。
 ランチ時だったので、ドライカレーを注文。そしてチャイはなさそうなのでブレンド珈琲も。しばらくしてやってきたドライカレー!イメージしていたものとは全く異なります。本格的なルー。干しブドウに肉、その他、香辛料がたくさん入ったものがご飯の上にたっぷりとかかっています。これはおいしい!今まで食べたことのない本格的なカレーです。しかもこんなにたくさんのルーがあります。ついご飯をおかわりしたくなるほど。そしてブレンド珈琲の味は?これがびっくりするくらいにおいしい。カフェバッハのペーパーフィルターでじっくりと淹れた珈琲に似た味です。豆は酸味を少なくやや苦みの多い私好みの味です。珈琲がドライカレーの後味の残る口の中で香り、食後のひと時を演出してくれるようです。これならばケーキも頼んでみよう、とばかりティティカの時にはケーキの並んでいたカウンターに行ってみてもそこにはガラスケースはありません。で、ケーキをお願いしますと言うと、チーズケーキが運ばれてきました。それを一口、そして珈琲を少し口の中で混ぜると両方の味と香りがミックスされて素晴らしい味になります。
 ドライカレーとブレンド珈琲、チーズケーキ、そしてモーツアルトの調べ。ドイツかウィーンの街中にいるような気持ちです。「カフェティティカ」の後に、またまったく異なる雰囲気の落ち着ける喫茶店ができたことを知り、安心したのでした。

by kankyoichiba | 2012-01-28 10:28 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(0) 

愛犬レオ

 それは突然のことでした。愛犬のレオがエサを全く食べなくなりました。手で口元にエサを運んでも1個咥えてポトリと落とすのです。食べられません、という表情。その時は老犬なので食べたくないときもあるかな?と思っていました。でも2日目もまったく食べません。水はたくさん飲んでいます。そしてオシッコもたくさんしています。いったいどうしたんだろう?さすがに3日目にはおかしい、といつもお世話になっている動物病院に連れていきました。そこで血液検査をすると重度の貧血だとか。どうも消化器系のどこかから出血をしているのではないかとのこと。できるだけ早く輸血をしなくてはならないような状態。でも犬の血は献血センターになんてありません。どうすればいいかオロオロしていると医師が偶然に用意できたと血をどこかから持ってきてくれました。輸血をしてしばらくすると少し元気になった愛犬レオ。酸素室の中で健気に尻尾を振っています。でも輸血量の割には血液のデータが芳しくありません。出血は止まっていないようです。病院ではいつ愛犬が亡くなるか瀕死の容態であるためできるだけ夜は自宅にて見守ることを勧めてくれました。
 愛犬はいつもケージの中に入れてリビングの中心に置いています。病院から戻りケージの中に愛犬を入れてやるとなんだか安心した様子です。やはり14年間、過ごしてきた自分の場所がもっとも落ち着くのでしょう。その日から5日間、毎日、日中は病院にて酸素室で適切な処置を受けている愛犬を見守り、夜はリビングの愛犬の場所に戻し、部屋を温かくして愛犬を見続けられる場所で仮眠をしていました。夜中にカタンという音がすると起きて愛犬の様子を見る。オシッコをしているところだったり、立ちあがって何処かを見ているところだったり。一度は吐血をしているときでした。愛犬のお気に入りのベッドにどす黒い血が溜まっていきます。それを愛犬のレオは見て、ごめんなさい、ベッドを汚してしまいました、という表情。そんなこと謝らなくていい、元気になってくれ、と準備していた新しいベッドに換えてやるとホッとしたかのように丸くなって寝ました。
 動物病院では、供血犬を探してきて欲しい、輸血がもっとも有効な治療であると言われ、近所の犬の散歩仲間の家々を訪ねて献血のお願いをするのですが、大抵は不気味がられ冷たい声がインターホンから流れてくるだけでした。そんな時に、妻の友人が快く供血を申し出てくれました。3歳の若く元気な犬からの血液が体内に入った愛犬、でも最初の輸血のときほどには元気になってくれません。やはり容態は悪化しているのでしょう。もっとたくさんの血が必要になるかもしれない、どうすればいいんだろう、と吸血鬼のようになって必死で伝手を連絡してまわりました。その時、供血してくれた妻の友人が、その供血をしてくれた犬はつくばのとある犬がたくさんいる動物園でいただいてきたと話していたのを思い出したのです。もう駄目モトで直接、会って話してみようと開演前のその動物園に行き、事務所に電話で事情を説明しました。どうせ冷たくあしらわれる、と思いつつも愛犬のためにできるだけのことはしておきたい、その一心でした。すると園長が出てきて「お話を伺いましょう」との温かい言葉。できるだけ協力をしましょうとの信じられないような温かい言葉です。なんだか救われたような気がしました。そして何頭か準備してさぁ出発するという直前に動物病院から電話がかかってきました。「危篤です、一刻も早く来てください」とのこと。もう輸血するような状態ではありませんでした。温かい言葉をいただき多忙の中で異例の事態に対処してくれた園長からは「こちらはいいので気をつけて帰ってあげてください」とのまたも温かい言葉に涙あふれるほど。
 病院の手術台に横たわる愛犬レオ。モニターからは脈拍のピッピッという音と体温、酸素量がモニターされています。でも意識はありません。目を開けたままの愛犬を覗き込んでも何も見ていません。30分後に舌をピクピクと動かしています。意識が戻るのか?でもそれ以降は心音はあるもののそれまでと違います。手術台の上の愛犬が物体になったような気がしたのです。あの舌を動かしたのは「バイバイ」と伝えていたのだと思うのです。それから10分も経つと医師が強心剤を注射するも心拍数はどんどん減っていき血圧も落ちていきました。電気ショックで心臓を動かしてももう回復しません。2012年1月18日14:00に愛犬レオは逝ってしまいました。14年近く、いつもそばに居た愛犬。休日の早朝に洗車に行くときには助手席に乗せたこと、ベランダの風呂桶に湯を張り、お風呂を入れていたこと。時々、抱っこをして温かい愛犬のぬくもりに癒されていたこと。友であり子分であり子供のような存在であった愛犬が逝ってしまったこと。心に大きな穴が空いてしまったように感じます。
 病院から動かなくなったそれでもまだ温かい愛犬を持ち帰り愛犬のケージに入れてやるとまるでそこで眠っているかのようです。通夜をして置いておくといつまでもそうしたくなってしまうのではないか、と感じた私は動物病院で紹介された葬儀場に連絡をしてすぐに火葬をお願いしました。本来は予約が必要な火葬にも関わらずその日は空いていました。愛犬にぴったりの桐の棺桶に入れ、服と風呂の後で濡れた体を拭いていたタオル、リード、そしてたくさんのエサを入れて送りました。その1時間30分後にはきれいに並べられた骨。とその白い骨に交じって黒い金属の輪があります。これは何?まるで「良くできました」と伝える丸印のように感じました。骨壺に収まった愛犬レオ。よく晴れて風の無い穏やか、温かい日に逝ってしまったレオ。この14年近くを一緒に過ごすことができてありがとう、本当に楽しかった、と感謝の気持ちでいっぱいでした。いつもお互いを見合っていた存在。円らな黒い瞳。それが今はもうありません。残されたものがいかにして生きていくのか、強くなって!という象徴として持ち帰ったあの金属の輪。見ているとその輪が何かわかりました。これはリードの紐をまとめる輪です。五円玉のような金属の輪を咥えてレオは無事に三途の川の舟に乗船できたことでしょう。
 死因は腎不全。犬の三大死因なのだそうです。犬は動物界では弱者、いわゆる食べられる側。だから弱った状態を見せることなく極限まで健康体のフリをするのだと動物病院の院長の言葉が響いてきます。水をたくさん飲んでたくさんオシッコをするようになった、あのサインこそ腎不全の兆候だったのです。あの時に尿検査をしてやればもう少しは長く生かさせてやることができたかもしれないなぁ。でもそう悔むことはやめることにしたのです。長く弱った体で生かすということは、弱者の動物にとっては耐えられないことに違いないのです。自然界ではすぐ捕食される対象で常に危険。心穏やかであるはずがありません。愛犬のレオはギリギリまで我慢して健康体のフリをして、そして我慢できなくなって、5日間だけ飼い主にうんと甘えて逝ってしまったのです。
 大きな存在を失った心の痛み。これもやがて時間を経るに従い波紋が小さくなっていくように穏やかになることでしょう。それは愛犬レオとの距離が離れたのではなく、心の波紋が心に吸収されていく結果なのだと思うのです。5日の間、できるだけのことをさせてくれる時間を与えてくれた愛犬に感謝の気持ちでいっぱい。レオのいなくなったリビングで珈琲を飲みながら想うのでした。

by kankyoichiba | 2012-01-22 08:43 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(1) 

明けましておめでとうございます

 2012年壬辰が明けました。初日の出は残念ながら曇り空で見えません。そして関東では地震がありました。初めゆっくり小さく揺れてそれが続いて振幅が大きくなっていく、、、。それは昨年の3月11日が再びかと思うような揺れでした。無事に地震の揺れもなくなってほっとしていた翌日のニュースでは、小田原海岸に子供のクジラが打ち上がったとか。そういえばイルカが大量に海岸で死んでいたのは地震の直前だったのでは、、、。なんて不気味なニュース。そうかと思うとその翌日の3日は地震雲がたくさん空にある!とネット上では大騒ぎでした。
 また揺れる、関東大震災は必ずまた来る、富士山もまた爆発するに違いない、10メートルも海底トラフが動いたから別の場所で地震が発生する、2012年はマヤ暦ではカレンダーの終わる年。世界中のみんなが現状の体制に違和感を感じているのではないでしょうか。日本では自民党を破った民主党が子供みたいな政権運営を行い、年金制度も健康保険制度も破綻して、政府は税収不足。足りないから増税しよう!そんな理論はおかしいのではないでしょうか。足りないならば今あるお金で何ができるのでしょう、政府で蓄えてあるお金を使えばどうなるか、などまだ増税する前にすべきことはたくさんあると思うのです。それを地震復興のためにお金が不足するので、、、などとして安易に増税しても税収は増えないような気がします。
 アメリカでは99%だ!として1%の富める人たちを攻めようとしています。アフリカや中東では女性の地位向上の機運が高まり、それまで虐げられていたと思っていた人たちが団結して政権を倒し、欧米列強国が勝手に創り上げたシオニズムの象徴が揺らいでいます。ギリシア、スペイン、ポルトガルは国家経済の破たん寸前だし、それを防ごうとフランスとドイツの元首たちはユーロの防戦に必死です。ユーロができてとってもいい目を見たその二国だけが。
 何か変わらなければならない、何かがおかしい。世界中そういう考えが渦巻いています。そして日本では自らが変われないので地震など天変地異を待ち望んでいるというのでしょうか。そんなことを豪華な中華のお節料理を食べながら想ったのでした。

by kankyoichiba | 2012-01-04 19:44 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(1) 

軽井沢のクリスマス

 クリスマスは軽井沢は大賀ホールで開演されるバッハコレギウム=ジャパンのメサイアを聴きに行きました。1週間ほど前に降った雪が溶けずに山林に残っています。基本的に零下の気温。最高気温がマイナス1℃で最低気温はマイナス10℃。まあほどほどの寒さ。ボストンではこの季節、マイナス20℃。早朝の出勤時にキラキラ光るものが空中を舞っているのが見えるのです。何だろう?と思っていたらそれがスターダスト。マイナス20℃の早朝でした。そこまで寒くはないけれども寒い軽井沢。こんなに寒いとあのベーコン作りのお店、フレスガッセは営業しているのでしょうか?お店が夏仕様なので寒くて営業できないのではないかな、と思っていたら、、、。ちゃんと営業していました。窓や扉にはビニールを貼って二重にしてすきま風を防いでいます。少し暖かい室内。そこでいただいたのは「スモークチキン定食」です。クリスマスの特別料理。チキンの肉は温かくグリルされてしかもスモークの香りが素晴らしい。そして生野菜も。
 寒い避暑地の軽井沢、人が集まるのはプリンスホテル界隈だけです。そんな寂しい夏に賑わう場所は、地元や常連の方々が集まりいろいろな話をしています。「どこそこの薪が安い」とか「こういう木で薪を作るといい」とか。浅間山が見える部屋は寒いから防寒対策をどうすればいいか、とか。そういう冬籠りのお話です。
 15時に開演したメサイアは今年で2年目です。古楽器は木でできた小さなホールにその自然な音色を響かせて救世主のお話を奏でてくれました。こんなに素晴らしい音楽をヘンデルはわずか28日で作曲したということは驚きです。あまりにすぐに作曲したので作詞者は怒ったり、評価は芳しくありませんでした。でも時とともに本物は輝き続け今ではイギリスを代表するオラトリオの頂点に君臨しています。
 ハレルヤコーラスまでの2時間、バロックの巨匠の調べを背景に2011年に起きたさまざまな事象、天災あり、人災あり、経済の混乱あり、政治的な混乱やら、世界的に何かうごめいているようなそんな1年だったことを想うのでした。

by kankyoichiba | 2012-01-04 18:46 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(0) 

カフェティティカ

 カフェティティカ、我孫子図書館から歩いてすぐの場所にある落ち着ける喫茶店で、このブログでも何度でも書かせていただきました。どこかパリの雰囲気が漂う、明るい店内でのんびりとできる場所。その喫茶店も今日で閉店です。今日は場所を換えてつくし野の住宅街の中での臨時販売。どこだろう?と迷っていると小さな看板を発見、するとそこからお母様がにこにこしながら話かけてくださいました。「まぁお久しぶりです」と。ケーキの並ぶお庭にはお姉さんが。まだ産後間もないのに結構、無理してたくさんのケーキを作ってこられたのでしょう。つい後に来る他のお客のことも考えずにたくさん買ってしまいました。
 このティティカでいただいていたチャイと木の実のタルトは本当におしかった、そして今頃、予約が始まるクリスマスケーキも。でも今年は残念ながらありません。でもかわいい赤ちゃんを育てるため、その赤ちゃんが大きくなって学校に行く頃にはまたティティカが戻ってきますように。
 今までおいしいケーキ、工夫されたランチ、チャイ、そしてくつろいだ時間をありがとうございました。またお会いできますよう、そうだ!我孫子のアビスタで開催されているケーキ教室でお姉さんが講師の時にケーキの作り方を教えていただこう!なんて思うのでした。

by kankyoichiba | 2011-12-18 18:00 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(0) 

月とシュトレン

 ブランデーに浸された木の実やドライフルーツのたくさん詰まったシュトレンの季節。少しずつ切って食べていきクリスマスになる、なんて器用な食べ方、私にはできないので一度にザクッと切って食べてしまいます。まだパンにフルーツの味が浸透していないかな、いやこの部分はおいしくなっている、なんて思いながら食べるシュトレン。今年はいろいろなことがありました。
 そもそもは九州の新燃岳が噴火をしたのが1月中旬から。噴煙とその煤塵による被害が報道され、その処理に苦慮していることが報道されていました。そしてその噴火がその後どうなっているのだろう?と思う頃の3月、関東以北に大きな地震がありました。ほとんどの人がこれまで経験したことにないくらいに強く長く感じた揺れ。都会の電車はストップし道路には自動車が溢れ、寒風の中を歩いて帰宅する人たちの群れ、飲食料を買い求める人々のコンビニ前の長い行列。そしてまだ時々、強い揺れがあり暗くなる直前、テレビからは信じられないような光景が流れてきました。津波、逃げる人々、迫る波、破壊されていく家屋、そして街全体が流されていく様。エレベータの完全に停止した高層ビルにいた私にはその光景が信じられませんでした。東京湾をふと見てみるとたくさんの屋形船が出ています。と、レインボーブリッジの向こう側では火災、そして遠く千葉の工業地帯でも燃え盛る炎が見えます。でも見渡す限りそれ以外に大きな被害がある様子はありません。でも同時刻には福島原発に信じられないほどの大きな洪水が押し寄せ、三陸海岸では街が襲われ、千葉のウォータフロントの住宅地は地盤液状化による恐ろしい事態になっていました。強い地震でも建物はなんとか耐えられた、ほっとしていた矢先の出来事。そして都内は人々が大挙して夜を徹して遠い自宅を目指して歩く人たち。茫然自失、何もできない、考えられない、そういう状態が怖くて何かに没頭したいという気持ちがそうさせてしまったのでしょうか。都会の機能は自滅していくのでした。ただ唯一の救いは東京電力が電気を絶やすことなく供給してくれていたことです。もしあのとき停電していたら、高層ビルに避難していた多くのサラリーマンも慌てて何か回避行動をしたに違いありません。そしてその後の原発の爆発による放射性物質の拡散。関東以北の人々はどれくらいの被爆をしたのでしょう。そして今後、被爆していくことになるのでしょう。
 そして震災の対処に疲れてきた頃の9月の始め、今度は紀伊地方にとてつもない大雨。和歌山県の新宮市では午前4時の1時間雨量が130ミリを超えていました。丁度、その頃に新宮市からすぐ近くの三重県は鵜殿に住む妹から電話がかかってきました。逃げた方がいいだろうか?というものでした。道路は冠水しているかどうか、していたら逃げずに2階にみんなで居たほうがいいと伝える声も聴こえないほどに雨音が爆音のように電話から聴こえてきていました。その電話をしている間のほんの数分で道はすっかり冠水してしまったのだそうです。本当にあっという間の出来事に妹夫婦は驚き怖くなり2階に避難していたそうです。幸いにも少し高台にあったためか被害はなかったそうです。周囲には床上浸水の家々、浸水して動かなくなった自動車、土砂で流されてしまった集落、通行できなくなった道路という様に衝撃を受けたそうです。
 その洪水の記憶をやっと克服しようとしていた頃、11月に今度はタイのバンコクの日系企業の工業団地に洪水がありました。7月にはるか上流で記録的な豪雨があったことでその雨水が下流へと流れてきた結果だそうです。ゆっくりとやってくる水、そして工場の資産を水が襲いました。その影響は日本にゆっくりと襲ってきています。タイでなければできない部品がたくさんあったことで自動車業界のみならず電機業界も減産を余儀なくされたのです。
天災だけでなく、政治的にはチュニジアのジャスミン革命を発端として、民衆の暴動によりエジプトやリビアも長期政権が崩壊し、その流れはまだまだ影響を及ぼしています。
 また経済的にはギリシアの経済危機だけでなく、スペインもイタリアも危機的状況にあることでユーロは崩壊的な危機に直面しています。一方、アメリカ経済もグローバル経済化に伴い貧富の格差が顕著になってきました。それまでの中流層が気づいたら貧者になっていた、そうして身動きできなくなった高度の教育を受けた人たちが自分たちは99%の貧者で、1%の富者の冨をさらに増加させていることに気づいたのです。アメリカの絶望した若き中流階級の人たちは社会的に改めるべきだと声を大にしてI-PHONEでFACEBOOKを駆使して呼びかけはじめたのです。
 高度情報社会となり、世界中がネットワークで接続された結果として、金融が拡大して未来のお金をどんどん現在に取り込んでしまい、それが少しでも狂うと未来のお金に依存しなKてはならない人々の経済が破綻。それが中流階級の人々でネットワークを駆使して社会運動を起こしている。ギリシアもスペインもイタリアもだいたい似たようなものなのではないでしょうか。国家的な中流階級がふと気づくと貧者になっていた、、、。そして日本ではかってないほどの円高。もうどうなってしまうのでしょう。
 2011年は本当に様々な事象が、天災、人災、政治的にも経済的にも、たくさん起きました。まさに兎がぴょんぴょんと跳ねていくかのようにぴょんぴょんと起こったような気がします。そして先日の皆既月食。ほぼ真上の月が赤くなり再びもとに戻る様は良く見えました。なんだか兎年の締めくくりのようなイベント。
シュトレンを食べながらそんなことを思ったのでした。

by kankyoichiba | 2011-12-15 17:42 | いちば担当者の独り言 | Trackback | Comments(0)