アルファロメオ カングーロ
2008年 08月 24日
ではcanguroっていったい何だ?ということで、所蔵している書籍を調べてみました。NADA出版の「PRODUTION CARS 1910-1996」、AUTOMOBILIA出版の「CATALOGUE RAISONNE 1910-2000」、EMMETI GRAFICAの「ALL CARS FROM1910」。それらの書籍すべてにCANGUROの写真と製造台数がわずか1台でありそれもTURINで開かれたモーターショー用だったことが記載されていました。
これほど掲載されていたにも関わらず、今までまったく関心がなかったためでしょうか。まったく知らなかったのです。でも、どこからの情報だったでしょうか、CANGUROを設計したジュージアローが得意そうにベルトーネに見せると、「私の目の前に二度とこのクルマを見せるな!」と言ったということだけは、知っていました。ただ、それがどういうクルマだったのか忘れてしまったのでしょうね。ちょっと調べてみたのですが、皆目、どこにそういったことが書かれてあったのかわかりません。そしてそのCANGUROは、雑誌レポーターが運転して事故を起こして壊れたまま保管されてあったのだそうです。
このCANGUROをちょっと見るとどことなく、あのラボールギーニのイオタに似ていなくもありません。正面とサイドラインにはTIPO33/2 STRADAREの影が見えるのですが、全体を見るとどうもイオタっぽい。そしてイオタも走行中に燃え出して全焼してしまったまま、一部の残骸が保管されたという伝説が残っているだけ。
なんとなく似たようなことが、この時代の特別なクルマには伝説として残っているようです。山中湖のミュージアムがこのクルマとTIPO33/2 STRADAREの2つを展示されて、再び開館してくれる日を待ち望むのは、無理なことなのでしょうか。できればあの広々とした館内で、またILLYの苦い珈琲を飲みながら、アルファロメオの古いクルマについて山口館長からお話を伺いものです。
1964年にCANGUROは披露され、その同じ年にフランコ=スカリオーネはTIPO 33/2 STRADAREをデザインしたそうです。そしてそのスカリオーネはもともとはCANGUROをデザインしたジュージアローが当時、所属していたベルトーネのチーフデザイナーだったのです。この二人はどのように影響しあったのでしょう。TIPO33/2 STRADAREに見えるCANGUROからの影響。それは本当にそうなのでしょうか。ひょっとしたら、スカリオーネがあちこちに落書きしていたラインや、ジュージアローが何処かに書いたライン、そういうものをお互いに見て、影響しあったのではないでしょうか。そしてそのベルトーネはランボールギーニでミウラ、イオタ、カウンタックと衝撃的なデザインを世に出していくことを知って、あのスーパーカー世代としてカウンタックに心ときめいた私としてはその少し前のこと、それが私の生まれた1964年だったことを思うと、東京オリンピックで日本という国が平和国家として世界に認知され、1970年の大阪万国博覧会で、躍進する工業国家として名を上げていった時代の伏流として、クルマのデザインが流れているということが見えてくるのです。
特別なクルマのデザインが次第に、工業製品としての大量販売のクルマのデザインとなり、それをさらに突き詰めていく日本の自動車産業。でも、イタリアデザインは、クルマの心を忘れずにかってのスイスの時計産業が、日本のクォーツ時計に押されながらも、再び機械式時計が高級時計として脚光を浴びるまで、技術を伝承し続けていたように、デザインの極意を伝承し続け、クルマの生産技術では日本が進んでしまったものの、肝心のどんなクルマを作りますか?という部分、つまりはプリンシプルという部分では今も素晴らしいモノを伝承し続け、発揮しているのです。
プリンシプルを忘れただモノを作ってカネを儲けりゃ、ええんや!と進んできたニッポンがここにきてちょっと元気がなくなってきているのは、そういうところに原因があるのではないでしょうか。ヒトの心をときめかせるモノ、そして代々、大切にしようと思われるモノ、そういうモノづくりの大切さというものの影がなんとなく、このベルトーネ等のイタリアのカロッツエリアを見ていて思うのです。
そういえばジュージアローといえば、NIKONのEMという一眼レフはジュージアローデザインだったなぁ。
日本の製品は製造技術は素晴らしいけどなぁ。でもそこからは芸術は生まれないし、芸術でなKれば歴史となるモノは生まれないのではないでしょうか。ちょっとした歴史の通過点で生きている日本の工業生産は大丈夫かぁ!と不安になるのでした。
で、当のベルトーネが破産状態とか。世界経済はアメリカを中心に大量生産、大量消費を前提とした発展の期間が長く、そしてその効果も絶大だったためでしょうか。短期での決算、短期での利益確保それが株主に配当されるということこそが最も大切なこと。会社は誰のものか?と問われると即答で株主のもの、と全く疑問も感じなく応えてしまう世界中の人々。もう世界はオカネという幻想を中心に、いつの間にか支配され、民主主義として特権階級を廃した運動は結局は別の特権階級を生みそれが普及してしまったのです。
日本だけではなく、今後の世界経済もそういった面をみると大いなる不安を感じてしまいます。それともまたまた民主主義が平民の台頭を促したように再び同じような運動が起こってくるのかもしれません。でも最後に残るのは、結局は社会に対して本当にサービスを与えられるものだと思うのです。それはオカネではありません。
古いイタリアの自動車を見ているとそんなことを想うのでした。
by kankyoichiba | 2008-08-24 05:05 | いちば担当者の独り言