それは突然のことでした。愛犬のレオがエサを全く食べなくなりました。手で口元にエサを運んでも1個咥えてポトリと落とすのです。食べられません、という表情。その時は老犬なので食べたくないときもあるかな?と思っていました。でも2日目もまったく食べません。水はたくさん飲んでいます。そしてオシッコもたくさんしています。いったいどうしたんだろう?さすがに3日目にはおかしい、といつもお世話になっている動物病院に連れていきました。そこで血液検査をすると重度の貧血だとか。どうも消化器系のどこかから出血をしているのではないかとのこと。できるだけ早く輸血をしなくてはならないような状態。でも犬の血は献血センターになんてありません。どうすればいいかオロオロしていると医師が偶然に用意できたと血をどこかから持ってきてくれました。輸血をしてしばらくすると少し元気になった愛犬レオ。酸素室の中で健気に尻尾を振っています。でも輸血量の割には血液のデータが芳しくありません。出血は止まっていないようです。病院ではいつ愛犬が亡くなるか瀕死の容態であるためできるだけ夜は自宅にて見守ることを勧めてくれました。
愛犬はいつもケージの中に入れてリビングの中心に置いています。病院から戻りケージの中に愛犬を入れてやるとなんだか安心した様子です。やはり14年間、過ごしてきた自分の場所がもっとも落ち着くのでしょう。その日から5日間、毎日、日中は病院にて酸素室で適切な処置を受けている愛犬を見守り、夜はリビングの愛犬の場所に戻し、部屋を温かくして愛犬を見続けられる場所で仮眠をしていました。夜中にカタンという音がすると起きて愛犬の様子を見る。オシッコをしているところだったり、立ちあがって何処かを見ているところだったり。一度は吐血をしているときでした。愛犬のお気に入りのベッドにどす黒い血が溜まっていきます。それを愛犬のレオは見て、ごめんなさい、ベッドを汚してしまいました、という表情。そんなこと謝らなくていい、元気になってくれ、と準備していた新しいベッドに換えてやるとホッとしたかのように丸くなって寝ました。
動物病院では、供血犬を探してきて欲しい、輸血がもっとも有効な治療であると言われ、近所の犬の散歩仲間の家々を訪ねて献血のお願いをするのですが、大抵は不気味がられ冷たい声がインターホンから流れてくるだけでした。そんな時に、妻の友人が快く供血を申し出てくれました。3歳の若く元気な犬からの血液が体内に入った愛犬、でも最初の輸血のときほどには元気になってくれません。やはり容態は悪化しているのでしょう。もっとたくさんの血が必要になるかもしれない、どうすればいいんだろう、と吸血鬼のようになって必死で伝手を連絡してまわりました。その時、供血してくれた妻の友人が、その供血をしてくれた犬はつくばのとある犬がたくさんいる動物園でいただいてきたと話していたのを思い出したのです。もう駄目モトで直接、会って話してみようと開演前のその動物園に行き、事務所に電話で事情を説明しました。どうせ冷たくあしらわれる、と思いつつも愛犬のためにできるだけのことはしておきたい、その一心でした。すると園長が出てきて「お話を伺いましょう」との温かい言葉。できるだけ協力をしましょうとの信じられないような温かい言葉です。なんだか救われたような気がしました。そして何頭か準備してさぁ出発するという直前に動物病院から電話がかかってきました。「危篤です、一刻も早く来てください」とのこと。もう輸血するような状態ではありませんでした。温かい言葉をいただき多忙の中で異例の事態に対処してくれた園長からは「こちらはいいので気をつけて帰ってあげてください」とのまたも温かい言葉に涙あふれるほど。
病院の手術台に横たわる愛犬レオ。モニターからは脈拍のピッピッという音と体温、酸素量がモニターされています。でも意識はありません。目を開けたままの愛犬を覗き込んでも何も見ていません。30分後に舌をピクピクと動かしています。意識が戻るのか?でもそれ以降は心音はあるもののそれまでと違います。手術台の上の愛犬が物体になったような気がしたのです。あの舌を動かしたのは「バイバイ」と伝えていたのだと思うのです。それから10分も経つと医師が強心剤を注射するも心拍数はどんどん減っていき血圧も落ちていきました。電気ショックで心臓を動かしてももう回復しません。2012年1月18日14:00に愛犬レオは逝ってしまいました。14年近く、いつもそばに居た愛犬。休日の早朝に洗車に行くときには助手席に乗せたこと、ベランダの風呂桶に湯を張り、お風呂を入れていたこと。時々、抱っこをして温かい愛犬のぬくもりに癒されていたこと。友であり子分であり子供のような存在であった愛犬が逝ってしまったこと。心に大きな穴が空いてしまったように感じます。
病院から動かなくなったそれでもまだ温かい愛犬を持ち帰り愛犬のケージに入れてやるとまるでそこで眠っているかのようです。通夜をして置いておくといつまでもそうしたくなってしまうのではないか、と感じた私は動物病院で紹介された葬儀場に連絡をしてすぐに火葬をお願いしました。本来は予約が必要な火葬にも関わらずその日は空いていました。愛犬にぴったりの桐の棺桶に入れ、服と風呂の後で濡れた体を拭いていたタオル、リード、そしてたくさんのエサを入れて送りました。その1時間30分後にはきれいに並べられた骨。とその白い骨に交じって黒い金属の輪があります。これは何?まるで「良くできました」と伝える丸印のように感じました。骨壺に収まった愛犬レオ。よく晴れて風の無い穏やか、温かい日に逝ってしまったレオ。この14年近くを一緒に過ごすことができてありがとう、本当に楽しかった、と感謝の気持ちでいっぱいでした。いつもお互いを見合っていた存在。円らな黒い瞳。それが今はもうありません。残されたものがいかにして生きていくのか、強くなって!という象徴として持ち帰ったあの金属の輪。見ているとその輪が何かわかりました。これはリードの紐をまとめる輪です。五円玉のような金属の輪を咥えてレオは無事に三途の川の舟に乗船できたことでしょう。
死因は腎不全。犬の三大死因なのだそうです。犬は動物界では弱者、いわゆる食べられる側。だから弱った状態を見せることなく極限まで健康体のフリをするのだと動物病院の院長の言葉が響いてきます。水をたくさん飲んでたくさんオシッコをするようになった、あのサインこそ腎不全の兆候だったのです。あの時に尿検査をしてやればもう少しは長く生かさせてやることができたかもしれないなぁ。でもそう悔むことはやめることにしたのです。長く弱った体で生かすということは、弱者の動物にとっては耐えられないことに違いないのです。自然界ではすぐ捕食される対象で常に危険。心穏やかであるはずがありません。愛犬のレオはギリギリまで我慢して健康体のフリをして、そして我慢できなくなって、5日間だけ飼い主にうんと甘えて逝ってしまったのです。
大きな存在を失った心の痛み。これもやがて時間を経るに従い波紋が小さくなっていくように穏やかになることでしょう。それは愛犬レオとの距離が離れたのではなく、心の波紋が心に吸収されていく結果なのだと思うのです。5日の間、できるだけのことをさせてくれる時間を与えてくれた愛犬に感謝の気持ちでいっぱい。レオのいなくなったリビングで珈琲を飲みながら想うのでした。


